進化とテロメアの哲学:人間はなぜ「死ぬ」必要があるのか?
「進化」とは、個々の細胞が意思をもって変化した結果ではなく、環境に適応した状態が結果的に残った現象だと私は考えています。
中学生の頃にダーウィンの進化論を学んだ際、「適者生存は当たり前のことなのに、なぜこれが教科書に載るほど特別なのか?」と感じたことを覚えています。しかし、生命の営みを深く考えると、そこには「なぜ私たちが死ぬのか」という根本的な問いに行き着きます。
変化のスピードと生命の限界
生命の変化のスピードには圧倒的な差があります。
例えば、ウイルスは人間の1万倍の速さで世代交代します。この驚異的な変化のスピードこそが、抗生物質を使っても耐性ができ、人間に脅威を与え続ける理由です。
一方、人間の細胞分裂には限界があります。
一般的に、細胞分裂の回数は約50回と言われています。DNAの端にあるテロメアという部分が分裂のたびに短くなり、やがて分裂の限界(老化・寿命)が訪れるのです。(例外として、ガン細胞はこの制限がありません。)
永久の命と進化の停止
私はかつて、このテロメアが短くならないよう遺伝子改良ができれば、実験台になってもいいと本気で思っていました。
もし永久に新陳代謝が衰えず、個体が老いることなく生き続けられるならば、それは素晴らしいことです。
しかし、もし人類の個体が永遠に生き、世代交代が止まったらどうなるでしょうか?
それは、人類という「種」の進化が停止することを意味します。進化が止まれば、地球環境の劇的な変化や、新たな脅威(ウイルスなど)に直面したとき、適応できなくなり、種全体が滅びることになります。
個体が死ぬことの意義
この考察から導かれる結論は、こうです。
人間の個体である私は、いつか必ず死に、次の世代へと交代を繰り返す必要がある。
これこそが、私たちが「生まれたら、いつか死ななければならない」という宿命を背負っている理由だと、私は勝手に思っています。
個体の死は、「種」が生き残り、進化し続けるための代償なのです。
【個人的な実験】
ちなみに、細胞分裂の回数をセーブしようと考えた私は、30代の頃は運動を全くしませんでした。そして40代になってから、自動二輪やロードバイクを始めました。
30代で「セーブした」はずの細胞分裂の回数が、年老いてから本当に活きてくるのかどうか。これは、私自身の長年の実験として、密かな楽しみにしています。
※これはあくまで個人的な考察であり、科学的な定説とは異なる可能性があることをご承知おきください。
